有名な方の学生時代  堂本光一

堂本光一

姉が出した履歴書でジャニーズ入りを果たした堂本光一

キンキキッズとして、相方の堂本剛と共に90年代に爆発的な人気となった堂本光一。
デビュー前に剛と出演した「人間失格」で脚光を浴び、そこからデビューしたキンキキッズの「ガラスの少年」は、デビューシングルにしてミリオンを突破。
どれだけ凄まじい人気だったのかが、このことでよくわかりますよね。
そんな堂本光一さんですが、学生時代には苦労があったようです。

堂本光一がテレビで打ち明けた苦労話

堂本光一さんは芦屋に長く住んでおり、そこから休みの日に東京まで新幹線で通うという生活をしていました。
相方の堂本剛さんとともに、ジャニーズジュニアとして修行を積むためにこの苛酷な往復を繰り返していたとか。
そして中学生になったある日、親友だと思っていた同級生に「実はジャニーズやってるんだ」と打ち明けたところ、距離をとられてしまったそうで、さらに同級生とも上手くいかなかくなったとか。
でも、彼は「東京に行けば長瀬とかがいるし、いいや」と前向きに乗り越え、中学三年生のある日「東京に行きます、お世話になりました」と言って上京したそうです。

キンキキッズは、デビューこそ遅かったものの結成当初からかなりの人気。
スマップのバックとして踊っていた期間も長く、それで注目を集めていました。
中学生の頃にどのくらいの活躍をしていたのかは解りませんが、それでも当時から顔立ちが非常に整っていたことは知られていますし、それで「ジャニーズ」ということになると、何か嫌なことを言われることもあったのかもしれません。
柔和な外見とは違い、堂本光一さんは非常に男らしく前向きなのでめったなことで愚痴を言ったりはしませんが、その彼がこうして打ち明けるということには意味があるように思います。
彼のように、すべてに恵まれていると思われるような人でも「乗り越えてきたもの」がそれなりにあり、そこで乗り越えてきたということは「今頑張っている人」に勇気を与えるのではないでしょうか。

今は舞台でかなりの活躍

現在、堂本光一さんはキンキキッズで活躍をしているというだけでなく、舞台「ショック」の座長としても活躍。
ショックはすでに1000回公演を超えており、毎年多くのお客さんが詰めかける人気舞台となっています。
彼のフライングは日本でも屈指の完成度と言われ、それも堂本光一さんがかなり努力されてきたことの証でしょうね。
今後とも、彼の活躍を祈りたいです。